エッセイ「私は虐待経験の無い解離性障害患者」

 

 

先日の診察日に、主治医と私はいつになく話し込んだ。

17歳の時に、私は解離性障害離人症と診断され、14年前の40歳の時から今の主治医に罹っている。

私の紆余曲折の人生をほぼすべて知っている、誰よりも信頼を込めて接している医師だ。

 

37年間も延々と離人症を続けている私だが、勿論17歳の頃よりは大分病状は落ち着いている。

だがたまにひどい離人感に襲われる。

けれど、いつの間にかそんな非常事態の時の気持ちを平常時に方向転換させるやり方にも慣れてきて、今の私はそんなに離人感を恐れてはいない。

 

しかし、診察室で私と主治医は時折堂々巡りの会話を交わす。

それは、「なぜ私は解離性障害になったのか?」という、実に根源的な問題についてだ。

解離性障害を発症する患者の多くは、子供の頃虐待やいじめ、大災害などに遭いそれがトラウマとなっている、と物の本で読んだし、主治医からもそう聞いている。

 

しかし私は虐待された経験が無い。陰惨ないじめにも大災害にも遭っていない。…では何が私のトラウマなのだ?

 

そんな疑問を話していると、私も主治医も黙り込む。

「謎なんだ」と主治医は言う。私もそう思う。

けれどもしかしたら、主治医には私自身にはまだ見えていない「何か」が見えているのかもしれない。私が今だ気づいていない「解離の芽」。

…私が自らの意識で気付くのを、この人は待っているのか?そうなのか?

 

もしそうであっても、自分の54年の人生を丁寧に振り返り一つ一つのエピソードを繰り返し思い返しても、私には解離になる程の「これだ!」という決め手を見つけられない。

 

敢えて「これが原因かなあ…」と思うのは、物心ついてから本や空想の世界に入り浸り、現実世界から逃避ばかりしていた精神性を持っている、という事ぐらいだ。

 

両親は穏やかで優しい善人だ。暴力を振るわれたことは一度も無いし、暴言で泣かされたことも無い。

いつも温かな愛情で私や兄を包んで育ててくれた。そのことにはとても感謝している。

 

親の存在をありがたく思えば思うほど、何も恩返しが出来ていない自分を不甲斐なく思う。

せめてちゃんと働いて、家に幾らかお金を入れる事ができたら。

結婚をしていない、という点に於いても、「親は私の将来が心配だろうな」と思ってしまうし、子供を産まなかったことにも「孫の顔を見たかったかもしれないな…」とつい引け目を感じてしまう。

 

まあ、そんな「たられば」的なことをうだうだと考えていても仕方ない。私の人生、という賽はとっくに振られてしまったのだ。

今更54年間のやり直しはきかない。これから先はいかようにも変えられるかもしれないが。

 

話は元に戻り、私の解離の原因だ。

何が原因で何がトラウマか、それがハッキリと解明できなければ私の寛解は無理なのだろうか。

それを主治医に聞くのを忘れていた。しかし、今更原因が分かったところで、もうそれはそれとして…と半ば有耶無耶に濁して先に進むしか無いような気がしている。

 

解離性障害になり死ぬほど苦しい思いを山程したこと、離人感で気が狂いそうになりながらも必死で生きたこと、何百回もくじけてそれよりも多く立ち上がったこと…。

今の私には、有り難いことに皆遠い記憶になりつつある。

 

まだはっきりと自覚はできていないが、多分私は明るい日差しが射す方向に向かっているのだろう。

 

また転ぶかもしれない。思いもかけず致命傷を負うかもしれない。

けれどなんとなく分かるのは、17歳の暗黒がとぐろを巻くような恐怖の日々にはもう戻らない、という事だ。

 

優しい人達よ、私はあなた達がふんだんに与えてくれた愛情に応えるべく、誰よりも「私」に有難みを抱き進む。

そして、微々たるものでも余裕が持てたら、私はあなた達に還元しよう。約束だ。